右耳のイヤホン
公開日: 2026/3/14
著者: すぱろー
土曜日の休日。友人と遊んだ帰り道。
僕は東武東上線に揺られていた。
車内は夜の電車特有の、少しだけゆるんだ空気。
どこかの席ではサラリーマンがうとうとし、スマホを見ている人も多い。
最寄り駅までの道すがらどうやって時間をつぶそうか。
そういえば今日はお気に入りの配信者の歌枠がyoutubeで配信される日だ。
僕はスマホを開きyoutubeアプリを起動する。
コメント欄は盛り上がり、配信者は絶好調。
トークもキレキレで、コメント欄は🥖の絵文字で埋まっている。
以前からこの文化はあるのだが、一体どういう意味があるのかは分からない。
だが、郷に入っては郷に従え。とりあえず🥖をコメントする。
最後の曲が終わって、配信者が感謝を述べる感動的なシーンだ。
ピロン🎵
リスナーの1人がスパチャを投げる。
「これは……スパチャ案件だな。僕も投げるか。」
ほろ酔いの判断力というのは、だいたいこういう方向に働く。 気づけば私はスーパーチャットのボタンを押そうとしていた。

その時、柳瀬川(東武東上線)で、乗客が空き、角側の席が空いた。
隣に人が座っていて窮屈だった僕が席を移動しようと思うことを誰が責められよう。
イメージ図 この赤いところに移動したい

よっこらしょ
席を移動しようと立ち上がった時
——ポロッ。

「あ。」
短い声が漏れたが、もう遅い。
電車という空間は広いようでいて、床に落ちた小さな物体を捕まえるには絶妙に遠い。

「あ。」
後ろから女の声もした。目撃者は消さなければならない。
僕は静かに女を睨みつけ、隣の車両へ移る。
「まったく、ひどい目にあった…これだから女は。」
配信画面に戻る。

「歌枠でスパチャはグレーゾーンだからやめてね」画面の中の配信者がリスナーに伝えている。
!?
危なかった。。。スパチャはどうやら禁止らしい。ひょっとして僕のイヤホンはそれに気づかせるためにわざと落ちたのではないか?
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
右耳のイヤホン。
今ごろ電車とホームの間の暗黒空間にいるはずの、あの小さな白い存在。
だが思い返してみてほしい。
もしあのままスパチャを投げていたらどうなっていたか。
右耳のイヤホンは、自ら溝へと身を投げ、僕を救ったのだ。
なんという忠義。
なんという覚悟。
右耳のイヤホンよ……。
お前はただのBluetooth機器ではなかった。
侍だった。
そう考えると、さっきの動きにも説明がつく。
コロコロコロ……。
あれは偶然ではない。
あれは決意の歩みだったのだ。
武士が城を出て戦場へ向かうように、イヤホンは静かに、しかし迷いなく転がっていった。
僕はスマホを握りしめながら天井を見上げた。
電車はガタンゴトンとふじみ野駅を進んでいる。
配信では最後の挨拶が終わり、
コメント欄はまだ🥖で溢れている。
僕はそっとコメントを打った。
「🥖」
そして心の中でつぶやく。
ありがとう、右耳のイヤホン。
お前の死は無駄にしない。
今度、オマエの後継機を買ってやるからな。